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現代に生き続ける備前焼の革新と伝統:
伊勢崎淳さんの遺したもの
伊勢崎淳が切り拓いた「現代備前」の造形革新
伊勢崎淳(1936–2022)は、人間国宝である父・伊勢崎淳一門の伝統を受け継ぎながらも、備前焼の造形表現を現代的に更新した陶芸家として知られています。本稿では、その功績の中からひとつ、「造形と用途を往復させる革新的な器づくり」に焦点を当てて掘り下げていきます。
備前焼は釉薬を用いず、窯変(ようへん)による自然の発色と土味が魅力とされてきました。伝統的には徳利・壺・花器などの形が重んじられ、フォルムの変化よりも焼成による景色が評価の中心でした。これに対して伊勢崎淳は、器の「使われ方」と「暮らしの変化」を見据えながら、造形そのものを積極的に再構成していった点に特徴があります。
彼の作品には、端正でありながらどこか緊張感のある線と面の構成が見られます。例えば、従来の備前徳利が丸みを帯びた量塊として成立していたのに対し、淳は肩の張りや胴の絞りを極端に意識したフォルムを用い、持ちやすさ・注ぎやすさと、視覚的なシャープさを同時に実現しました。また、茶碗や酒器においても、高台の高さや口縁の開き方を微妙に調整することで、手に取ったときの重心の位置や、口当たりの滑らかさを繊細に制御しています。
こうした造形への意識は、単なるデザイン的工夫ではなく、「土と火の偶然性」を尊ぶ備前焼に、「人体との関係性」という新たな軸を持ち込んだ試みといえます。伝統的備前が「鑑賞される器」であったとすれば、伊勢崎淳の器は、鑑賞と使用が互いを高め合う関係にある器です。使うほどに土味が変化し、手跡が刻まれ、日常の動作そのものが作品の一部となるような、開かれた美のあり方を提示した点こそ、現代備前にとって大きな革新でした。
伝統技法への徹底した眼差しと「焼成」の再解釈
革新的な造形の背景には、伝統技法への徹底した理解と検証がありました。伊勢崎淳は備前の代表的な技法である「松割木による窯焚き」「胡麻(こげつき)や牡丹餅といった窯変の景色」「叩きやろくろ成形の併用」などを丹念に継承しつつ、その一つ一つを自らの表現意図に合わせて再解釈していきました。
焼成において特筆すべきは、「温度帯と焚き方を造形に応じて変える」という発想です。従来、窯変は偶然性の産物として尊ばれ、窯の部位による違い(棚場・火前など)を経験的に使い分けることが主でした。淳は、作品のフォルムや厚み、土の配合に応じて、どの位置でどのような火を当てるかを計画的に組み立てることで、偶然性の幅をコントロールしようとしました。
例えば、シャープな肩のラインをもつ花器では、その線を際立たせるために、側面に強い還元炎を当てて暗く引き締まった焼けを狙い、対照的に胴部には柔らかな胡麻をまとわせることで、フォルムのメリハリを視覚的に強調する、といった具合です。また、厚みのある大壺では、土の内部まで十分に火が通るよう長時間の焼成を行い、表面の窯変だけでなく、全体の収縮によって生まれる微細な歪みやたわみを、造形表現の一部として取り込んでいました。
このような焼成設計は、備前焼が長く依存してきた「窯の偶然」を、作家の意図と対話させる試みと言えます。伊勢崎淳は、偶然性を排除するのではなく、作品ごとに「偶然が生じる余地」を違え、その幅を操作することで、焼成そのものを造形行為に組み込んだのです。結果として、彼の作品は、同じ窯から出たものであってもひとつひとつに明確な個性が宿り、その個性が造形と焼け色の双方から読み取れる「総合的な備前表現」となりました。
生活空間へ入り込む備前焼—器からオブジェへ
伊勢崎淳の革新は、造形や焼成にとどまらず、備前焼の「存在場所」にも及びます。かつて備前焼は、茶の湯・華道・酒席といった特定の文化的文脈の中で重用されてきましたが、淳はそこから一歩踏み出し、生活空間全体を視野に入れた作品制作に取り組みました。
代表的なのが、用途の境界を意識的に曖昧にした作品群です。一見すると花器のようでありながら、置き方によってオブジェとして成立する造形、あるいは、酒器として作られたにもかかわらず、光の当て方を変えることで彫刻的な陰影を楽しめるような作品などが挙げられます。これらは、器でありながら「置かれ方」「光の入り方」「見る距離」によってまったく違う表情を見せるよう設計されており、空間と対話する現代的なアートピースとして機能しています。
こうした試みは、備前焼を「特別な場の道具」から、「日常空間を構成する要素」へと位置づけ直すものです。ダイニングテーブルに置かれた備前の皿が、料理を盛る前からすでに空間のトーンを変えていること、飾り棚の一角に置かれた小さな花器が、花が入っていなくても静かな存在感を放つこと――淳は、そのようなあり方を意識して、スケール感や重心、質感のバランスを探り続けました。
さらに、彼の作品は、現代建築やインテリアとの相性を考慮している点でも注目されます。直線的な空間に置いたときに、備前特有の土の揺らぎがどのように作用するか、白い壁面やガラス越しの光の中で、どの程度のマットさや光沢が空間を柔らかくするか――その視線は伝統工芸の枠を超え、空間デザイン的感覚と結びついていました。備前焼を「暮らしの中のアート」として再配置したことは、若い世代の生活者やデザイナーが備前に興味を持つ契機ともなり、産地全体にとっても重要な意味を持ちます。
伊勢崎淳の遺したもの—継承と発展のプラットフォーム
伊勢崎淳の仕事が「遺したもの」として価値を持つのは、個々の作品の完成度だけではありません。それは、備前焼をめぐる思考の枠組みを広げ、次世代の作り手たちがそこから出発できるプラットフォームを形成した点にあります。
第一に、彼が示した「造形と用途を往復させる器づくり」の姿勢は、備前作家たちに対し、伝統的な型をなぞるだけでなく、使い手の生活や感覚に応じて器のあり方を再構成することの重要性を教えました。酒器や食器、花器といったジャンル分けにとらわれず、「どう触れられるか」「どこに置かれるか」「どれくらいの時間をともに過ごすか」といった視点から器を考える態度は、現代陶芸全般にも通じるものです。
第二に、焼成を造形行為の延長として捉え直したアプローチは、備前焼の技術継承に新たな指針をもたらしました。窯変を単なる「結果」として受け取るのではなく、意図と偶然のバランスをどう設計するかという観点から窯焚きを研究する動きは、若い陶芸家たちが自らの窯を持ち、試行錯誤を繰り返す際の重要な参考となっています。
そして第三に、備前焼を生活空間全体の中で考える視点は、ギャラリーやインテリアショップ、建築家との協働にもつながる可能性を開きました。器とオブジェ、工芸とアート、伝統と現代デザインの境界を横断する作品群は、備前焼が「古いもの」「渋いもの」というイメージにとどまらず、現代の空間に積極的に取り入れられる存在であり得ることを証明しています。
伊勢崎淳の逝去後も、彼の影響は作品だけでなく、教育や企画展、後進への助言など、多方面で蓄積されています。窯場で語られた小さな工夫や失敗談、釉薬を使わないからこそ生じる肌理の変化への感覚、土を練るときの微妙な水分量へのこだわり――そうした具体的な知が、弟子や共働者を通じて受け継がれています。
現代に生き続ける備前焼の革新と伝統は、決して大きな理論や宣言によってのみ支えられているのではありません。伊勢崎淳が生涯にわたって積み重ねた、一つひとつの器、一回一回の窯焚き、一度一度の対話の集積こそが、「遺されたもの」として、今日もなお土と火の前に立つ人々の手と眼を支え続けているのです。
